総合学習に「情報」領域を新設、今かなり忙しいのにまだ教員の仕事を増やすのか? キャリア教育・外国語・道徳など、年々増え続ける“ビルド&ビルド”の教育施策──元教員の視点から考える

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(画像:Canvaにて作成)

2025年5月、教育現場に関わる大きな動きが話題となっています。

学習指導要領改定に向け議論を進めている中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の教育課程企画特別部会が22日開かれ、文部科学省は小学校の「総合的な学習の時間」の中に情報技術を学ぶ領域を新設するなど、小中高校の情報教育を充実させる案を示した。

引用元:総合学習に「情報」領域新設案 生成AIなど進展踏まえ 文科省

小学校の総合的な学習の時間に「情報」の領域を新設するとのこと。

生成AIをはじめとするデジタル技術の進展を受け、情報活用能力の育成が目的とされています。しかし、教員不足が深刻化するなかでの新たな指導内容の追加に、現場では戸惑いの声も上がりそうです。昨年まで10年以上教員を勤めた立場から、私見を述べたいと思います。

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情報教育の必要性-子どもたちの間に急速に浸透するデジタルデバイス

結論から言えば、情報教育は「今すぐにでも必要」と言っても過言ではありません。

今やスマートフォンやタブレットは、大人だけでなく未就学児の手にもある時代。動画を観たり、アプリで学習したりする子どもも珍しくありません。さらに、小学校ではGIGAスクール構想により、一人一台のタブレットが支給され、学習にも日常的に使用されています。

もはやデジタルデバイスは、私たちの生活に欠かせない存在です。

私が小学校高学年のクラスを担任していた頃、約3分の2の児童が自分専用のスマートフォンを自由に使っていました。小学生にスマートフォンは不要だと個人的には思いますが、現実としてここまで浸透しているのが実情です。

情報を見極める力、正しく使う力はまだない

急速に子どもたちの生活に浸透したデジタルデバイスですが、果たして子どもたちは正しく使いこなせているのでしょうか。

最近まで担任をしていた経験から言うと、子どもたちは情報を正しく見極める力が十分とは言えません。スマートフォンなどのデジタル機器の扱いも、多くの子が適切に使いこなせていないのが実情でした。

実際に、以下のようなトラブルが日常的に発生していました。

  • 数十人単位のライングループを作成し、気に入らない子を退室させるなどのいじめトラブル
  • 深夜までスマホで友達と連絡を取り合い、翌日起きられない、授業中居眠り
  • 大人数のグループで常にLINEでメッセージのやり取りが行われるため、気付いたら数百件のメッセージが溜まっている
  • ティックトックなどのSNSアプリで個人情報を拡散
  • フェイクニュースと思われるものをSNSで拡散
  • 友達の画像をスマホで撮影し、勝手にSNSやメッセージアプリで拡散
  • 友達の画像をスマホで撮影し、悪質な加工を施して友達と共有

このようなトラブルが日々絶えず、保護者から相談を受けて対応に当たることも少なくありませんでした。

もちろん、「情報教育」の具体的な中身はまだ明確に定まっていない部分もあります。しかし、以下のような内容はぜひ子どもたちに教えていく必要があると強く感じています。

  • 健康に配慮したスマートフォンの使い方
  • 人を傷つけないSNSの使い方
  • 正しい情報の見極め方
  • 肖像権や著作権について
  • 誹謗中傷について

実際、元勤務校ではこうした背景を受け、学級活動の時間を活用して情報モラルに関する授業を行っていました。

スマートフォンを持たせているのは保護者ですが、今後さらにデジタルデバイスが社会に不可欠となる中で、学校での情報教育は欠かせない役割を担っていくと私は考えています。

総合的な学習の時間(総合学習)の問題点

そもそも、情報領域を追加する、総合的な学習の時間とは、どのようなものでしょうか。

総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである。

引用元:文部科学省ホームページ

少し難解な表現ですが、簡単に言えば、

「教科の枠を超えて、横断的・総合的に学びながら、生きる力を育むことを目的とした時間」

ということです。

ただし、他の教科とは大きく違う点があります。それは、明確な全国共通のカリキュラムが存在しないことです。

たとえば、

  • 小学2年生の算数では九九を学習する
  • 小学5年生の理科では振り子の学習をする

といったように、国語・算数・理科・社会などの教科では、学年ごとの学習内容が明確に定められています。

しかし、総合学習にはそのような「何を教えるか」が定まっていません。つまり、その学年の担任がゼロからカリキュラムを組み立てていく必要があるのです。

私自身もこれまでに、

  • 地域とのかかわり
  • 福祉に関する学び

などをテーマに、体験活動や調べ学習をもとに授業を組み立ててきましたが、正直なところ、毎年内容を一から考えるのは非常に大変でした。

現場でも「総合的な学習の時間」は不評なことが多く、確実に教員の負担のひとつになっていると感じます。特に教員不足が深刻化している現在、その負担は無視できません。

情報教育の必要性については強く共感します。しかし、「総合的な学習の時間に追加する」のではなく、総合的な学習の時間を廃止し、その枠で新設するという形のほうが、現場にも受け入れられやすく、より効果的なのではないかと思います。

ビルド&ビルドばかりの教育現場

教育現場は、今まさに疲弊しきっています。
4月の時点で教員の欠員が出ていたり、担任が不在であったりすることが、もはや珍しい現象ではなくなっています。

仮に4月時点で必要な人員がそろっていたとしても、年度途中に産休・病休などで教員が休みに入ると、たちまち学校運営は困難になります。
なぜなら、常にギリギリの人数で回しているからです。

そんな綱渡りのような状況が「当たり前」になってしまった近年、現場には次々と新たな業務が加えられました。

  • キャリアパスポートの管理
  • 外国語の教科化
  • 道徳の教科化
  • 一人一台端末の配付と活用
  • 不登校児童へのリモート対応

そして今度は、情報教育の追加です。

どれも子どもたちにとって重要な取り組みであることは間違いありません。しかし、追加される一方で、削減される業務は何一つありません。

「子どもたちのため」という言葉を免罪符のようにして、改革という名の“ビルド&ビルド”を繰り返してきた教育行政。
しかし、それを支えるだけの現場の体力は、すでに限界を超えています。

何かを新たに始めるのであれば、同時に何かをやめる、見直す。
それが当たり前の判断であるはずです。

まとめ

ここまで述べてきたように、情報教育の必要性自体には異論はありません。
現代の子どもたちは、すでにデジタルデバイスと日常的に関わって生活しています。だからこそ、

  • 正しい情報の見極め方
  • SNSや端末の適切な使い方
  • 個人情報や著作権に対するリテラシー

といった内容を学ぶ機会は、これからの時代を生きる子どもたちにとって必須だといえるでしょう。

しかしその一方で、情報教育の導入方法には疑問が残ります。
「総合的な学習の時間」に情報教育を押し込むような形では、すでに余裕のない教育現場にさらなる負担を強いるだけです。

総合学習には明確なカリキュラムがなく、指導内容の構築は現場任せ。
それに加え、キャリア教育・外国語・道徳など、年々増え続ける“ビルド&ビルド”の施策。
教員不足の現実、日々の業務に追われる先生たちに、これ以上何を求めるのでしょうか。

新しい学びを始めるなら、それに伴って何かを削る、あるいは教員への支援体制を整える――
そんな当たり前の配慮が、今の教育政策には決定的に欠けているように感じます。

現場の先生が笑顔で、元気に勤務できてこそ、子どもたちも楽しく学ぶことができます。

子どもたちの未来のために必要なのは、
“持続可能な教育”のあり方を真剣に見直すことではないでしょうか。

(執筆者:AKKA)